昨日話したことを思い出して【IOTとか】
IOTをクラウドでエキセントリックなビジネスの生産性をUPさせて、結果にコミットする!!!
とかいう具合なんですけど
センシング技術を用いて何をあつめるんすか??集めて何に使うんすか??
それ意味あるんすか???
ごみを分析しても、ごみ結果しかうまれないってのは常識なわけで・・・
なにを分析するんすかね
フッターいるんすか論争
フッターいるんすかね???
なんか最近のwebの作り見てると無駄にデカイ、メインコンテンツ並みのフッターがありますけどフッターいるんすかね?>
フッターってなんであんなにでかくなったんすか?メニューじゃだめなんすか?
だれか教えて
人間の限界【寿命とは】
人間の寿命はたった1世紀前よりはるかに伸びた。
50代60代でこの世を去る人間が沢山いた時代から70代80代で生きているのが当たり前になってきた。
それと同時に人間の遺伝子の中にある、バグともいえる様々な病気が出てきたのだ。昔はそんな遺伝病が起きる前に人は何かしらが原因で死んでいただろう。しかし昨今では人はチューブにつながれながらでも生きている。
そこで思ったのが人間の寿命とは何かという事だ・・・人が生まれ人が死ぬまでが寿命とするならば人間は永遠に生き延びれるのだろうか・・・?
何年も意識が無い状態で、チューブにつながれた状態は生きているのだろうか・・・?
死ぬという事に関しては定義がされているが、生きるという事についての定義はなんなのだろうか?
人間として生きるという事は、社会的に生きる事であり、社会的に生きることは何かに隷属することであり、隷属するという事は主がいるという事である。
またその主も社会に隷属をしているのならば、人間として生きるという事はこの循環の中で常に動き続ける1個体なのであろう。
生きるという事は循環している事なんだろうなぁっと思う日です。
そしてこの循環を繋ぎ、満たす潤滑油はお金と信用なのだろうと思うんだなぁ。
そしてこのお金は便利にするための発明ではなく我々を縛る存在へと変わっていった
ブログを朝のルーチンにぶちこむ
とおもうのです
2018年度はブログをルーチンに
新年あけましておめでとうございます。【今更2018】佐世保でシステム開発
2017年の振り返りから
2017年は父親が癌のステージ3Aとなり帰郷を決意した年になりました・・・
正直私は田舎に帰りたくなかった、東京にいた方が私にとっては居心地がよかったからだ。なぜ居心地がいいかと言うと、最先端を追う人が沢山いて同志も沢山いたからだ。そういった人たちの開発や、思想に触れるだけでとても面白かった。しかしそうも言ってられないというのが現状であり東京から佐世保に戻ることになったのです。
東京から帰るにあたり
2017年6月に東京から長崎へと帰っていった。2輪車でゆっくり止まりながら今までの思い出の地を回ったりしたのです。
高卒で就職して8年程過ごした関東は私にとっては大人として育った街であることは間違いなかった。むしろこちらで過ごした8年は非常に濃密なものであり、友人も多くできた街だ。今までに経験したことのない重圧や失敗、ちょっとした成功や喜びも全部この街で経験してきたのだ。
正直僕は出来た社員ではなかった、技術さえあれば、技術の知識さえあればと思っていたが世の中そうではないという事を嫌と言うほど知った場所である。
一度心身を壊してどん底な気分に落ちたこともあった。しかしそれはそれでよい経験なのだ、それを今後に生かせばよいのだ。
いつか自分の会社を持ちたい
こういった夢をずっと小さいころから思い描いていた、技術で身を立てたいと思いと同時に、私の人生において長い期間ずっと心の中にあったものなのだ。故に今回帰郷するにあたり会社を立てようと思った。まずは小さい小さい個人事業主として、会社を立てようと思っていた。
実際会社を立てて半年余りが過ぎたが、技術だけでは話にならない、正直今の私はお客さんの優しさがあるからこそ動けていると思う。
ただサラリーマンの時より苦しいしシンドイのだ。これは分かっていたことだが2017年の時点でがっつり理解した。
新年に向けて
気合を入れろ馬鹿野郎です