資本論から考察するシステム開発費用と見積もり。
システム開発は技能はもちろん個人でしかも請負ではなく世間一般でいうSEとしての立場で仕事をする場合は、契約や法律見積もりに精通しなければならないという当たり前を前提に書いていくのです。
物質主義と労働者の値段
システム開発を行う際、ほとんどが人件費である。
これは当たり前であるがシステムの開発は人が行い、手で書いているのだから当たり前である。
まずは原価であるが
原価=物質の値段
システム原価=電気代+サーバー費用
これが物質主義における原価である。これだけであれば汎用品を用いることにより非常に安価で済む。しかし実際はシステム費用は高価である、ではなぜか?それは労働市場価値が高いからである
これをあてはめてみよう
労務費=労働ができるまでの学習コスト(専門性)+肉体を休める場所(住居費・交際費・学習費など文化人として最低限度の費用)
これがシステムの開発費だ
利潤や経費を載せるのは当然である。
我々は文化人として生きねばならぬ。しかしこの式にあてはめた時に様々な矛盾が生じるわけであり、様々な不都合が生じる。
例えばシステム開発費用における労務費の学習コストであるが、これは残業代で生産されているように思われる。多岐に及ぶシステム開発、例えばPHPを用いて開発を行う場合はcakphp3をフレームワークとして開発をした場合、フレームワークの使い方を熟知してない技術者と熟知している技術者とでは開発速度に雲泥の差がある。
熟知していない技術者は必ずや残業をしなんとしても納期に間に合わせようとする。するならば心身に負担がかかり健康を損なう可能性がある。
この場合健康を損なった場合会社が負担しなければならず、生産せずに会社は対価を支払う形になる。当然である。
ここで矛盾が生じるわけだ、現代日本における労働の価値、つまり給料というのは勤務の長さつまり経験の差であり、知らぬフレームワークも当然すぐに使えるであろうという前提に基づいているわけだ。
たしかに現状のフレームワークはMVCモデルを用いてどれも似たような機能と基本的な能力は備えている。
しかしこれが落とし穴であると私は思っている、例えばあるフレームワークに熟知した技術者が未知のBフレームワーク言語は同じPHPで開発の依頼をされたとする。
最初は簡単にできるであろうが、あるエラーが発生し技術者はかなり悩んだ、その結果残業が発生した。当然でこのようなことはどこでも起きている。結果は単純であれ経験則でモノが判断できないのだから当たり前である。
結果だけを見た場合は非常に単純であるが過程は大変複雑なものである。
これが学習コストなのだ。
真に単純労働と違い、我々は常に学び、様々な技術を吸収している。その当たり前を無視して新規の物を簡単に扱えると勘違いするのは、必ずや工数に剥離が生じる。
長くなったから続きは別で