ヒネヒネ団

ひねくれ者の日記、9級IT技術者。同志が欲しいです

人間の限界【寿命とは】

人間の寿命はたった1世紀前よりはるかに伸びた。

50代60代でこの世を去る人間が沢山いた時代から70代80代で生きているのが当たり前になってきた。

それと同時に人間の遺伝子の中にある、バグともいえる様々な病気が出てきたのだ。昔はそんな遺伝病が起きる前に人は何かしらが原因で死んでいただろう。しかし昨今では人はチューブにつながれながらでも生きている。

 

そこで思ったのが人間の寿命とは何かという事だ・・・人が生まれ人が死ぬまでが寿命とするならば人間は永遠に生き延びれるのだろうか・・・?

何年も意識が無い状態で、チューブにつながれた状態は生きているのだろうか・・・?

 

死ぬという事に関しては定義がされているが、生きるという事についての定義はなんなのだろうか?

人間として生きるという事は、社会的に生きる事であり、社会的に生きることは何かに隷属することであり、隷属するという事は主がいるという事である。

またその主も社会に隷属をしているのならば、人間として生きるという事はこの循環の中で常に動き続ける1個体なのであろう。

生きるという事は循環している事なんだろうなぁっと思う日です。

 

そしてこの循環を繋ぎ、満たす潤滑油はお金と信用なのだろうと思うんだなぁ。

 

そしてこのお金は便利にするための発明ではなく我々を縛る存在へと変わっていった

8年前くらい

高卒で新入社員として入社しました。

春です。

18歳で関東に行きました。前泊で入社式に出ましたが、たったの8年前なのに遠い気がします。

 

長崎空港から羽田空港へ行き秋葉原に泊まりました。空が凄く青かったです。

東京で生活が始まる期待感と、上手くやっていけるかわからない不安が入り混じった感情が東京で見た空を覆うのです。

 

ただ私は一刻も早く東京に行きたくて前泊の前泊で乗り込みました・・・江戸川や墨田川沿いを散歩してどんな風な人がどんな風に生きてるのかを見たくてうろうろしてました。

 

まぁそのあとすぐ静岡県の山奥で半年くらい研修してたんですけどね。

 

いい思い出です

新年あけましておめでとうございます。【今更2018】佐世保でシステム開発

2017年の振り返りから

2017年は父親が癌のステージ3Aとなり帰郷を決意した年になりました・・・

正直私は田舎に帰りたくなかった、東京にいた方が私にとっては居心地がよかったからだ。なぜ居心地がいいかと言うと、最先端を追う人が沢山いて同志も沢山いたからだ。そういった人たちの開発や、思想に触れるだけでとても面白かった。しかしそうも言ってられないというのが現状であり東京から佐世保に戻ることになったのです。

東京から帰るにあたり

2017年6月に東京から長崎へと帰っていった。2輪車でゆっくり止まりながら今までの思い出の地を回ったりしたのです。

高卒で就職して8年程過ごした関東は私にとっては大人として育った街であることは間違いなかった。むしろこちらで過ごした8年は非常に濃密なものであり、友人も多くできた街だ。今までに経験したことのない重圧や失敗、ちょっとした成功や喜びも全部この街で経験してきたのだ。

正直僕は出来た社員ではなかった、技術さえあれば、技術の知識さえあればと思っていたが世の中そうではないという事を嫌と言うほど知った場所である。

一度心身を壊してどん底な気分に落ちたこともあった。しかしそれはそれでよい経験なのだ、それを今後に生かせばよいのだ。

 

いつか自分の会社を持ちたい

こういった夢をずっと小さいころから思い描いていた、技術で身を立てたいと思いと同時に、私の人生において長い期間ずっと心の中にあったものなのだ。故に今回帰郷するにあたり会社を立てようと思った。まずは小さい小さい個人事業主として、会社を立てようと思っていた。

実際会社を立てて半年余りが過ぎたが、技術だけでは話にならない、正直今の私はお客さんの優しさがあるからこそ動けていると思う。

ただサラリーマンの時より苦しいしシンドイのだ。これは分かっていたことだが2017年の時点でがっつり理解した。

 

新年に向けて

気合を入れろ馬鹿野郎です

 

 

U・Iターンについて思う事2【ファーストライフ世代は?】

最初に僕はUターン者です。

高卒でそのまま就職し関東へそのあと色々あって地元に戻りました。

その時に思った事を色々

 

U・Iターン説明会で思ったこと

セカンドライフ推しすぎ

田舎でまったりくらしましょう!都会のせかせかした生活に疲れたら田舎でゆっくり仕事しましょう!農業!!漁業!!!林業!!!!カフェ!!!自分のペースでゆっくり!!今なら畑と家も付きます!!!!

満州開拓団かよ

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って説明聞きながらおもってました。

そしてセカンドライフの説明でうんうん頷いてる人はだいたい30代後半くらいから、そもそも説明会に20代なんて私しかいなかった。

彼らはセカンドライフでも十分やっていけるだけのスキルや蓄財があるからいいのだろうが、私のように20代でファーストライフの人間はどうやって地方で生きればいいんだ???っと素直に質問をぶつけました。

 

・現実と説明のギャップ

田舎でゆっくり、大きい家にすみましょう!!!っと話を聞いて思ったのですが、そもそも田舎に行けば東京の収入なんて保証されない。特に上の世代であれば200~300万下がるのは当然であろう。

しかも田舎といえどFCや全国チェーンの店に地元は駆逐され価格はとうぜん東京となんら変わりない。

つまり貴方の財布に入ってくるお金は減り、出ていく金は大して変わらんという事だ。

 

・企業向けはさらにひどい

田舎は最低時給が低いので支社を置いて田舎の人を雇えば、人件費が安く御社のコスト削減に貢献できます!!

田舎は東京の植民地

たしかにこれは事実だし、今や海外に拠点を構えて開発や作業をさせても日本の倍の倍の成長率を誇るアジア圏では10数年後には人件費は日本と大して変わらなくなるだろう。ならば日本国内に構えればよいわけだ。

日本語が通じ、文字が読み書きでき、四則演算ができる人材を格安で雇えるわけだからね。

 

・子供の事考えてる?

僕は東京と言う街で思ったことが沢山ある。生き方の多様性である。本当にたくさんの生き方をしている。そしてその選択肢があるわけだ。

実にうらやましいと思った、東京や関東近郊に実家がある人は何と豊かな人生を送って、多用な選択をしているのだろうかと思った。

田舎というのは狭い価値観が形成される。

未だに大手企業主義、国公立至上主義であり、一度社会に放逐してから大学に行くなどもってのほかという考えである。

平成があと1年程で終わるのが決まっているにも関わらず、未だ昭和の高度経済成長期の考えが染みついておりそれが正解であり、他は不正解なのである。

 

 

しかし東京にいても否定はされる、しかし肯定する人間も一定数いる。

最後に思うことは安定安定と言うが、日本に本当に安定出来る会社がこれから50年後にあるのだろうか?

今までは護送船団方式であり、一種の社会主義であったわけだが真の自由主義を目の前にして日本の会社はどうだろうか??立ち向かえているだろうか?

違うんじゃないんだろうか???それは日本の教育や制度の根底が自由主義で戦える制度ではないからではないかと私は思うわけだ。

 

 

 

僕が理想とする会社は正しいのだろうか【採用について】

忘れないうちに。

僕が理想とする会社は、総合職を設けず、開発部、営業部、間接部門のみで構成をしようと思ってたのだが、これは間違いなのだろうか。

僕がだした経営計画には当初営業部の採用は3年は無理だと書いた。理由は営業が仕事を沢山取ってきてもさばききれないからだ。

外注を使えばいいという話だが、今のシステム業界は慢性的に人手不足。外注なんてだしてたら赤字になってしまう。赤字の回収は保守料などで補えばいいと言うが、そもそも赤字になるという事は、稼働が高いという事。

システム業界は慢性的に労働時間がながい、そんな中で技術者に押し付けていては皆壊れてしまう。

僕も一度壊れた。だからこそ、納期は随時交渉、価格については価格競争に巻き込まれないようにし、うちはこういうサービスをやってますという話をしてるつもりだった。

 

そこで技術職を採用するにあたり、ジレンマがある。

中途の経験者だとやはり金額が高い。だからと言って何も知らない新人を採用して年単位の育成計画なんて立てれない。

だから高専や工学部、工業高校、専門学校、自分で何かを作ったことがある子を採用したいなと思っていたんだが、一つ気づかされたことがあるのだ。

僕は技術でしかその子たちを見てないという事に。彼らは人で有ることをすっかり忘れて、技術でしか見てなかったのだ。

本当に驚くほど抜け落ちていた感性だ。

だれかに雇われてる時は思っていたことを、思い出せないとは愚かすぎる。

そんな時僕の下で働く子達はどんなふうに思うだろうか、技術で見る前に人として見なければ組織がギスギスしてしまう・・・。